外してはならない急所がある

塾はサービス業のようでいて、必ずしもそうとは言い切れない側面も持つ。例えばレストランであれば、店員はどんなお客にも「ありがとうございました」と声を掛けなければならない。食後に無言でレジ清算を済ませて店を出る客に対してもだ。

しかし、塾はそうではない。レストランの例でいえば、食後に無言で店を去ろうとする客に「”ごちそうさまでした”と言いなさい」、と一歩踏み込んでその客人の行動を正すことができる。これがサービス業を超えた塾の仕事の貴さと言えるだろう。

生徒を律する強制力を持つならば、指導者はさらに輪をかけて自分自身の落ち度を生じさせることがないよう細心の注意を払わなければならない。これは当然のことである。そして、神尾塾としてはさらに一歩踏み込んでご家庭に物申すべき時には物申せる塾でありたいと考えている。

連絡ファイルに押していただくご家庭の押印についても、そこに許容範囲を超える問題があれば指摘するようにしている。私が押印する際も、完璧ではないし数度程度の角度のズレや、ごく若干の印影のブレはあるかもしれない。しかし、それはひとつの許容範囲の中での出来事であって、一定の限度を超えるような押印の仕方であれば、それが私自身のものならば抹消線を引いて押し直しするし、それがご家庭のものであれば何らかの方法で指摘をするのである。

乱れた印影の連絡ファイルを見ると私としては指導に向かうモチベーションも落ちるし、手抜きまでいかなくても型通りの指導で済ませればいいのではないか、という悪魔のささやきが耳元に聞こえてくるものだ。何から何まで神経質に細かくしろと要求しているのではなく、やはり「外してはいけない急所」はあるもので、そのひとつが連絡ファイルの押印と言えよう。

塾の連絡ファイルであれば印鑑はきちんと押し、レストランであれば「ごちそうさまでした」くらい言おう。コンビニで買い物をしても無言ではなく、「どうも」くらい言ってレジでお釣りを受け取ろう。こういった人間同士のコミュニケーションの急所を押さえておくことで、支払った金額以上の、2倍、3倍、10倍、100倍を超える上質な仕事を提供者と客人の相乗効果で生み出し、客人そのものがその価値を受け取ることが出来るようになるのである。