至誠

【至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり】

「孟子」の離婁(りろう)上・第12章の一節である。

私が高校1年の時、現代社会の授業を受け持たれた先生が、最終授業で黒板に大きく「至誠」と書かれたのを思い出した。堀先生という方だが、大卒後東京ガスにしばらく勤務され、それでもどうしても教職に就きたいと願われ母校の中央大学で免許を取得し、某高校へ非常勤講師として着任された。

その高校で教諭に昇格することを目指したが、年齢制限にかかるため(当時御齢40くらいか?)断念し、私が高校2年になるタイミングで群馬県の白根開善学校という独特の教育課程をもつ全寮制の中学・高校に転職された。

そう、白根開善学校に転勤します、というお話とともに「至誠。一番大事なのは、これです」とお話をして下さったように思う。卒業後ウン十年を経ても尚、高校のことで記憶に刻まれている数少ない場面の一つだ。

昼食時にはその日の最新ニュースをB6版のわら半紙に印刷して担当するクラスへ配って回ったり、授業ではテーマを決めて外で取材してきなさい、ということで私は仲間2名と東京都庁へ出向いて、当時青島知事の公約で中止になる直前の世界都市博覧会の開催概要について、都庁の職員にインタビューしてレポートにまとめたりした。

このように生きた学問を生徒達に伝えたいという堀先生の熱望が、いまウン十年を経て私の胸に突き刺さってくる。そして、多くは語られなかったが「至誠」という言葉を掲げたその先に、本当は吉田松陰のことも話したい、孟子のことも語りたい、という強い想いも持たれていたのではないかと推測する。

私にとって高校時代で最も印象に残っている人物が堀先生だとすれば、この高校1年間の堀先生の行動と情熱、そのものが「至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり」を体現していたのではないか、と思わず胸が熱くなるのである。