雲雀丘学園中学校・高校(兵庫県宝塚市)

【アクセス】
梅田から阪急宝塚線の急行で25分。川西能勢口の次、雲雀丘花屋敷駅の西改札口から徒歩3分で雲雀丘(ひばりがおか)学園の正門に到着。

北を阪急線、南をJR福知山線に挟まれて東西に広がる校地は大阪ドームが2個も入る6万平米を超える広さで、高低差のあるキャンパスに幼稚園・小学校・中学校・高校がバランスよく隣接している。

正門からは雲雀丘花屋敷駅に向かって生徒専用の通路が敷かれており、生徒は一般道に出ることなく駅の1・2号ホームに直接出入りできる。

【サントリーが支援を続ける学校】
初代理事長がサントリー創業者の鳥井信治郎氏(明治12年生~昭和37年没)で、2代目理事長が鳥井信治郎氏の次男にあたる佐治敬三氏。3代目が鳥井信治郎氏の長男の子となる鳥井信一郎氏。現理事長が4代目で、鳥井信治郎氏の三男の子となる鳥井信吾氏。鳥井信吾氏は現在、大阪商工会議所の会頭をはじめ、ロート製薬の社外取締役など要職を務めておられる実業家。

【沿革】
雲雀丘はもともと山の斜面に果樹園が広がる地域だったが、明治43年(1910)に阪急電車の前身が開通することで、大正4年(1915)には高級住宅地としての開発が始まった。

雲雀丘自体が北側にある長尾山の斜面になっていて、山の向こうに西谷村(にしたにそん)という村があった。当初、この雲雀丘は西谷村の飛び地だったという。その西谷村立小学校の分教場として昭和24年(1949)に設置されたのが本校の起源となる。

この段階で設立委員会に鳥井信治郎氏が委員長として推挙され、鳥井氏と学園との関わりが始まった。したがって、本学園は「鳥井信治郎氏が創設した学校」ではなく「鳥井信治郎氏が支援した学校」なのである。このスタンスは現在の本学園とサントリーとの関係にそのまま引き継がれている。

昭和25年(1950)に国内初の学校法人、登記第1号の私立学校として西谷村から独立。草の茂った原っぱを運動場に変えていくように、一つひとつの困難を解決しながら学校づくりを進め、資金不足を理事長の鳥井信治郎氏がポケットマネーで補っていった。

初代校長には池田師範学校長(現在の大阪教育大池田)の板倉操平氏が着任。地元の人たちが地域の総力を結集して作った学校であることが分かる。

【2007年からの学校改革】
そんな雲雀丘学園も停滞期を迎える。高校国際科の募集が伸び悩み、大学進学実績も横ばいが続くなか、平成19年(2007)に着任された中尾直史校長はパナソニックから大阪府立高校で初の民間人校長となった人物。その中尾校長によって私学としての生き残りをかけた学校改革が開始され、これが現在の学園人気の礎となった。

【コース制の廃止】
平成26年(2014)にそれまでの「一貫選抜コース」「発展コース」の複数コース制を廃止。単独コース制を導入して、令和元年(2019)からは中学が6か年の「一貫探究コース」、高校が3か年の「文理探究コース」に一本化された。

大阪の多くの私学が一つの学校に複数コースを設置しているが、これは上位コースで不合格になった生徒を下位コースで収容(救済)する仕組みである。これを「回し合格」(関東ではスライド合格という)と呼ぶが、入学してくる生徒たちに「回された」というネガティブな気持ちを持たせたくないというのが、本学園のコース制廃止の意図である。

【教職員のヘッドハンティング】
優秀で、かつ本学園と志の合う人材のヘッドハンティングを教頭など幹部職員を中心に進めている。また学園内に「資質向上室」なる専門部署を設け、全教職員の研修、マネジメントを充実させている。

現校長の中井啓之先生は校長として7年目で、今年から兵庫教育大学の客員教授に就任される。人材の流動性と学園外との関わりの活発化、それが現在の本学園が発展する要因のひとつになっている。

【道しるべ(新文化館)の建設】
初代理事長・鳥井信治郎氏の随筆「道しるべ」から命名された新文化館。キャンパスの中央に位置し、300人収容のホール、中高図書館、小学校図書館、Hibari ColLab(ディスカッション・プレゼンテーションルーム)、音楽室、和室などが入る。

同じ建物内で小学生と中高生の交差する姿が見られるのは本学園ならでは。文化機能を「道しるべ」に集約することで、これまでの校舎にあった図書館などを普通教室に改装して、生徒数の増加に対応しているとのこと。(※ただし「教員の質を確保するため、生徒数増加ありきの施策は取らない」と中井校長は明言)

「道しるべ」は阪急線の走る北側から見ると4階建て、50m屋外プールのある南側から見ると6階建てに見える。それだけキャンパスの高低差が大きいということだ。

【キャリア教育】
「社会とのつながりを大切にする」は本校の大きな特徴。
身近な人に仕事のことを聴いてみよう(中1)、ものづくり体験・進路講演会(中2)、職業人インタビュー(中3)、職業人レクチャー(高1)、志望理由書を書いてみよう(高2)、One Day College(高1・2・3)のように学年ごとにライフデザイン教育を行っており、2022年1月には「キャリア教育優良学校」の文科大臣表彰も受賞した。

【グローバル探究プログラム】
キャリア教育(学年ごと)とグローバル探究(全学年)の両プログラム。その根底にあるのは鳥井信治郎氏の「やってみなはれ」で、サントリーや大阪大学、宝塚市といった企業や大学、自治体と連携して実社会との関わりを通じた、生徒が挑戦できる体制づくりに力を入れている。

※グローバル探究プログラムのごく一例
◎手作りみその商品化に至るまでのプロセスを学ぶ
◎花の商品開発(サントリーフラワーズ)
◎マスコミの世界を覗く(産経新聞社)
◎大学院一日体験(大阪大学)
◎感染症とワクチンの基礎(神戸薬科大学)

【部活動加入率】
中学95%、高校79%

【男女比】
2022年度の中学校男女比は男子205、女子309で概ね男女比2:3。男子の志願者を今後は増やしていきたいとのこと。

【大学合格率の上昇】
高3生徒数に対する国公立大学合格者数を見ると、階段状に割合が上昇している。
 2009年→8.8%
 2010~2013年→15~20%
 2014~2018年→30%
 2019~2022年→39%

急激ではなく、徐々に割合を上げているということは、無理な受験を生徒に強いているのではなく、着実に生徒の筋力が上がっているということ。2007年に開始された学校改革が少しずつ成果を見せているのだ。

この日の説明会では150名近くの塾関係者が出席していたが、そこには本校に対する「未知の期待」ではなく「信頼」が基盤となって塾関係者を集めていることが理解できた。

【大学合格者数の上昇】
◎2013年(高校在籍計834名)
 京都大0、大阪大8、神戸大9、大阪市立・府立大7、関西学院56、関西大43、同志社大37、立命館大33
◎2022年(高校在籍854名、うち卒業生244名)
 京都大6、大阪大15、神戸大12、大阪公立大28、関西学院92、関西大104、同志社大75、立命館大104

母数がほぼ変わらないことから、明らかに伸びていることが分かる。

【2022年大学合格者の入試タイプ別内訳】
私立大合格のべ678名のうち、総合型・推薦30%・一般70%。

◎総合型選抜20名(2.9%)→旧AO入試
◎公募推薦123名(18.1%)
◎指定校推薦24名(3.5%)
◎一般入試327名(48.2%)
◎共通テスト184名(27.1%)

「習得」と「探求」を車の両輪として授業サイクルを回しながら、大学一般入試に通用する学力を鍛える学園生活を提供している。

【中学入試】
募集定員約150名の内訳
◎雲雀丘学園小からの連絡入試(内部入試)合格 50名
◎外部合格 100名

A日程午前の倍率は1.97倍となっているが、これは連絡入試も含めた倍率で、外部に限定すると2.7倍に跳ね上がることに注意。

ちなみに、学園小は1学年150名程度で、ここから学園中に上がるのは連絡入試を通過した50名なので、内部生も受験対策が必要。尚、学園小150名のうち3分の2が他中学に進学するわけだが、下記の表の通り、甲陽学院や四天王寺など大半が難関私立中に進学している。

【まとめ】
Wikipedia によると、初代理事長である鳥井信治郎氏の長男・吉太郎氏の夫人は阪急阪神東宝グループ創始者・小林一三氏の娘、春子氏とある。その鳥井吉太郎氏と春子氏の間に生まれたのがサントリーの3代目社長で本学園の3代目理事長となる鳥井信一郎氏。つまり、鳥井信一郎氏にとってみれば鳥井信治郎氏も小林一三氏も祖父にあたる。

現在、雲雀丘学園の理事には、阪急阪神ホールディングス代表取締役社長の杉山健博氏が名を連ねているが、小林一三氏が箕面有馬電気軌道(現在の阪急電車)の沿線開発を進め、その事業活動の中でサントリー創業者の鳥井信治郎氏と接点を持つ機会があったのだろうか。

小林一三氏は明治6年生まれで、鳥井信治郎氏は明治12年生まれ。雲雀丘花屋敷の駅に学園専用の通路があるように、阪急電車~雲雀丘~サントリーという繋がりが見えてくるのは大変興味深い。

いずれにしても、経営基盤、マネジメントが整っている学校であり、大学・企業・自治体との連携も強化し、時流に乗って更に発展する学校、これから更に生徒が伸びる学校であると確信できた。

※参考資料
『雲雀丘学園70年の歩み』(学校法人雲雀丘学園)

(2022年5月24日訪問)

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