K・Y君

私がこの仕事を始めて今年で大体20年で、初期の教え子はもう30歳を過ぎていることになる。
神尾塾の前身となる「鴻徳神社学習教室 算数・数学個別指導」が2007年夏のスタートで、神尾塾になったのは2010年度が第1期。
その前身の頃、私は自営教室と他塾の講師と家庭教師を併用していて、●曜日は竹ノ塚、●曜日は成田、●曜日は一之江、週末は鎌ヶ谷、のような生活パターンだった。家庭教師はLNSというプロ専門の会社(現在の同社は社名以外は当時とほぼ全く異なる内容の会社になってしまった)に専属していて、その話は後日書いてみようと思うが、そのLNSで紹介を受けたうちの一人が松戸のK・Y君であった。

で、このK・Y君のお母さんが毎年年賀状を下さっていて、印刷だけの時は私は基本的に返さないのだが、今年いただいた年賀状には「同志社大学の法学部に通っています」と手書きが添えられており、大変驚いた。当時K・Y君は小学3年生で、確か不登校になりかけていた、とかそういう案件だったのではないか、と記憶しているのだが、一方で「東大に行きたい」と言いながら外でカナヘビを追いかけている、という感じだったような気がする。

土曜日に数回鎌ヶ谷に来て、カナヘビ探しで初富小学校近くの森に一緒に入ったこともあったと思う。(今の神尾塾では考えられないが!)
冬には印旛沼の方に白鳥を見に行ったこともある。

私がK・Y君を見ていたのは2年間弱くらいかと思うが、その後お母さんのご実家のある京都に引っ越しされて、そこでの生活がもう長い。

この記事何を言いたいかというと、当時お母さんはK・Y君の将来をものすごく案じていたように思うのだ。もちろん親が子を心配するのは当然なのだけれども、不登校気味であったり、周囲の子供たちと足並みを揃えにくい場面が出てきた時に、この子は大丈夫かしら、将来やっていけるのかしら、と敏感に、ナーバスになってしまうのが親心だと思う。

ところが、そこから12年が経って、今そのK・Y君は同志社大学で法律を学んでいる。首都圏ではピンとこないが、大体GMARCH(学習院・明治・青学・立教・中央・法政)ランクに位置する大学で、もちろんそこにたどり着くまでの葛藤はあったろうけれども、今現に大学生として頑張っているということは、

ひるがえって今現役の小学生・中学生であって、将来この子は大丈夫かしら、本当に真っ直ぐ育つのかしら、と心配になるご家庭があったとしても、最終的には「もう大丈夫、全てはきっとうまくいく」(「Get Myself Back」安室奈美恵)になるんだよね、というとても勇気づけられる話ではないか、と思うのだ。

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kamiojuku