学力を更に掘り下げていくと、先述の「区別する力」と同時に「記憶する力」に二分されていく。
この人は出来るな、と思わせる人は大概記憶力が抜群であったりする。一つの新しい刺激が入ったときに、その人が元々持っていた「Aという記憶」と「Bという記憶」がその人の中で結びつき、そこで新しい「理解」が発生する。このように理解力のある人とは、区別されて記憶したもの同士を関連づけられる能力のある人、と言えるだろう。この新しい理解によりその人の中で区別の部屋が新たに生まれ、その区別された部屋に収納された新しい記憶が更に別の記憶と結びついてまた新しい理解が生まれる、という風に出来る人というのは「出来るスパイラル(好循環)」を持っているはずだ。
で、学力の話に戻ると、学力の高い傾向にある生徒というのはまず第一に言葉の知識が豊富であることが多い。語彙力(ごいりょく)とも言う。
「○○って言葉知っている?」「あー、はい知ってます」…こんなやり取りの活発にできる生徒で勉強の苦手な生徒はまずいない。
主要五教科の学力の土台は国語にある、とは有名な話で、国語の得点の高い生徒は他教科も得点が上がりやすく、国語の得点の低い生徒は他教科も伸び悩むということだが、国語力とは読解力のことであり、読解力とはズバリ語彙力なのである。言葉を知っているからビビッとその文章が自分の中に入ってくる。
また、言葉を知っているかどうかの見極めは「言い換え」が出来るかどうかでも見破ることが出来る。「堕落しちゃ駄目だな」「ホント、ダメ人間になっちゃいけないですよね」のように言い換えで会話が交わせることは、ここでいう「堕落」の意味を理解しているということである。
これは会話術でもあって、会話のスムーズなパターンとは、相手が何かを発した言葉を言い換えして相づちを打つことだ。「まったく理解不能だわ」「ホント、考えられないですよね」「そうなんだよ」のように、相手に共感を示せるかどうかも、この言い換えの力にかかっている。
ではどうすればこの語彙力、または言い換えの力を養うことが出来るのか、と言うと、
やはり一つは「調べる」ことに尽きるだろう。分からないことが出てきたら、その都度調べる。今は辞書だけでなく、インターネットでも即時に調べることが出来る。すぐに調べて、分からないことを忘れてしまう前に自分の中に新しい知識を吸収させることが肝要だ。
そして、分からないことを分からない、と認識させるのは自分の中の「好奇心」の度合いにも関わっている。好奇心の薄い人は世の中の出来事に関心を示しにくいので、分からないことに気付きにくく、狭いエリアの知的世界だけで泳いでいることが多い。ところが好奇心旺盛な人は、「え?何で?」「何なのそれ?」と外の物事に興味を持ちやすいので、知りたい欲も強くなってくる。
その知識欲を強めるため、好奇心を強くするためには、自分の興味関心のあること、自分の好きなことに対してきちんと触れておく習慣が子供の頃からあったかどうか、という所に話が行き着くと思う。
ということで、自分のしたいことをしておこう、他人がしたがっていることはさせておこう、という単純な源泉こそが知的開発の第一歩になるという話題であった。