途中過程を大切にする

~中学生に電子辞書は不要~
学力が低い生徒ほど、電子辞書に頼る傾向がある。彼らは、調べたい言葉を電子辞書に入力して、一発変換で結果を得ようとする。もちろん、この方式は作業が速いが、あくまで「点」の作業であり、目的の単語を調べるだけで終わってしまう。

これに対して紙の辞書を使う場合、例えば「dictionary」の意味を調べたいとする。すると、頭文字から一つずつ「a,b,c,d」「a,b,c,…,h,i」「a,b,c」…と順にページをたどりながら調べていくことになる。この場合、近隣にある「direction」「doctor」といった単語が前後に出てくるのを目にすることになる。つまり、「点」を調べる作業ではあるが、納豆のように糸をひきながら目的地へたどり着こうとするので、アルファベットの語順や接頭辞の感覚を「点」から「線」「面」に拡げて養うことも出来る。当然、「調べる」根気も身につく。

なので、学習経験の乏しい中学生には電子辞書よりもアナログな紙の辞書を使わせることが好ましい。電子辞書を与えることによって、辞書で調べるフリをして授業中に電卓で計算をする生徒も出てくる。手を抜きたい子にとってはますます手を抜くきっかけを与えてしまうことになるのだ。

~旅行の行程を話せない~
旅行の手段として、自動車を使う家庭は多い。ある時、「スキーに行ってきた」という中学生に、「スキー?どこに行ったの?」と話を聞いてみた。すると、「新潟です」と返事が返ってきた。ところが、この会話が先に続かない。

「途中の道はどこを通ったの?」「新潟のどこでスキーをしたの?」と尋ねても、本人は首をかしげるばかりで、とにかく「新潟でスキーをしてきた」という事実しか本人の中に残っていないようなのだ。これは学級委員を務めるほどの、学校内で人望ある生徒の話である。

家を出発したら、あとは家族が車を運転してくれて、自分は目的地でスキーをした。それだけなのだ。せっかくの旅のはずなのに、途中過程に興味や関心を持つことなく、スキーという「点」しか埋め込まれていないことになる。一時が万事このような調子であるから、世間全般に対する好奇心は薄く、社会で起きている出来事や勉強に対しても実感や関心を持てなかったりする。ゆえに教科書で習う知識も頭の中に定着しにくい。

経済的に豊かになり、生活は便利になった。それは反面、「手間が省ける」社会になっているということでもある。この、省かれた手間、途中過程というものに、私たちの好奇心・意欲が活性化する、点と点をつないで線や面へと広げて脳が活性化していくヒントがあるような気がしている。勉強についても、小手先で解決できるものではなくて、そういった途中過程を大切にする日常の取り組みの延長線上にあるのではないだろうか。

追記
先週の塾通信で「奈良」の記録を書いたが、メモ帳を片手に「何時何分○○駅」「何時何分○○寺」ということを随時書き記していく。そして帰宅した後に、今日乗車した路線、観光地のホームページなどを確認することによって、その旅を自分の中に定着させるのだ。そうすることで、全ての経由地が「目的地」となって、自分の中に一つひとつ強い印象が残っていく。知識を広げる、感性を磨くということは、具体的に言うとこういうことだ。ただ「行った」「美味しかった」「楽しかった」というだけでは何の学習にもならない。