プロ野球の故・野村克也監督による著書から。
指導術の話になるが、塾に通じる話題をピックアップしてみよう。
▼ほめていい人間か見極める
指導者が安易にほめることは慎まなければならないと考えている。「人をダメにする方法、それはほめることだ」 と常々言っているくらいで、まず、選手をほめることをしない。 的確なタイミングでほめないかぎり、ほめるということは、その人間をつぶしかねないと考えているのだ。(P.14)
指導者が「ほめる」には、タイミングを見極めなければならない。ちょうどその相手が、実力をつけ始めた時期、そこでその人間のやる気を後押ししてやるようにほめることが大事なのだと私は考えている。 まさに〝人を見て法を説け〟である。(P.15)
▼つまらない単純作業に直面したときどうするか
それなりに1軍で結果を残すような選手になるためには、きっちりとした「基礎づくり」が大切だ。このときの「つくる」とは、「体づくり」、「基本づくり」、「自分の形づくり」の意味がある。
こういったことは、単純作業の持続でしか得られないものだ。面白味のない作業をコツコツ、コツコツ繰り返し、頭ではなく体に覚えさせていく段階だ。
これは何もプロ野球の世界にかぎったことではなく、一般のどんな仕事においても同じではないだろうか。まず、「基礎づくり」の段階は、地味な作業を繰り返し行うことが求められるものだ。
その段階において、 はたして単純作業を持続できる人間かどうかという点が、その後の飛躍に大きく影響してくる。(P.30)
▼「根拠」をもって行動している人間かを見る
選手がミスをしたとき、リーダーとして見極めなければいけないのは、その選手が、「根拠」をもってプレー失敗に終わったのか、それとも、なんの根拠もなくただ漫然とプレーして失敗に終わったのかという点だと思うのだ。
(中略)
いちばん問題なのは、「なぜだ?」と聞かれても、明確な答えが出せない選手の場合だ。こういったタイプの選手は、漫然と行動した結果がミスにつながっていることが多く、その失敗を糧とすることもなく、次に同じように失敗することが多い。
そういった場合は、私も厳しく指導をするようにした。失敗した「結果」を責めるということではなく、なぜ考えて、自分なりの根拠をもってプレーしないのだという点を指摘し、常に考えて野球に取り組む姿勢を意識させようと心がけたのだ。(P.33)
▼超二流、二流の人への指導法
いいコーチは選手に技術や考え方を押し付けたりしない。まず、選手が自分で考え、試行錯誤して答えを出すまで、自分の考えを言わないものだ。むしろ問題点や解決策に選手自身が気づくように導くのが、いいコーチである。私が指導者は「気づかせ屋」になりなさいというのはこういう意味だ。(P.48)
▼挨拶でその人を見極める
私は監督時代から、選手たちの挨拶を見て、しっかりとできるやつなのか、常識のないやつなのかは見分けていた。挨拶というのは小事、細事であるが、それができる人間のほうが当然、見込みもある。逆にできない人間というのは、プロの世界ではなかなか成長しないものだ。(P.53)
「人間的成長なくして、技術的成長もない」とは、私が選手たちによく説くことだが、まさにプロの高いレベルでの戦いとなると、最後はそういった人間性の部分になってくるのだ。プロ野球選手の看板を外しても、一般の社会人として恥ずかしくない人間か。そういった部分が、野球における最終的な差になって表れてくるものなのだ。(P.54)
▼「恥の意識」があるかどうかを見極める
「プロとして恥ずかしい」という、恥の意識がない人間は、伸びていかないのものだ。「恥ずかしい」と思わない人間は、「まあ、この程度でもいいだろう」とという現状維持の意識につながっていく。現状に満足してしまった瞬間、人の成長は確実に止まる。(P.58)
▼コーチは言い過ぎない人間が適任
若い技術の未熟な選手が少しでもよくなるようにと考えて、積極的に手とり足とり教えるコーチがいるが、これはいただけない。常日頃から私はコーチたちに「教えすぎるな」と命じていた。
メジャーリーグにも「教えないコーチが名コーチである」という名言がある。教えすぎると選手が自ら考えようとする姿勢を奪ってしまいかねない。一から十まで「ああしなさい、こうしなさい」と指示され、選手がただ一方的に「はい、はい」と聞いているだけでは、自分で考えることすらできない、受け身型の人材をつくってしまうことにもなりかねないのだ。
(中略)
本人自身が何も悩まず、問題意識ももっていない段階でいろいろと教えても、まず選手はコーチの話を聞かない。聞いていたとしても、頭の中を素通りしていくだけだ。指導の根本理念は選手の問題意識を高めることである。
コーチにとって必要なことは、選手たちが悩み、試行錯誤を繰り返している段階をじっと見守ってやる忍耐力だ。ついアドバイスをしたくなるが、もし選手の成長を本当に願うのなら、選手自らが自分なりの答えを導き出すまで、先に指導者が答えを言ってはいけないのだ。(P.90)
天才肌でかつて名選手だったコーチだと、「なんだ、こんなこともできないのか」と突き放してしまうこともよくあるが、これでは選手は育たない。逆に、現役時代は不器用で苦労しながら技術を体得してきたコーチだと、試行錯誤してきたプロセスもあるので、的確なアドバイスが選手にもできるという面がある。名選手が必ずしも名指導者ではないというのは、このためである。
コーチの最大の仕事は、選手が自分の力で正解を見つけられるように導くことだ。教え込もうとしても、それは無理なことである。選手自身が自分で学び、選び取っていったものしか、身にはつかないものだからだ。基本的には「問題意識」を持たせる指導法がいいのではないだろうか。(P.91)
▼コツコツやっている選手を見逃してはならない
「努力は裏切らない」というのは、何も技術的進歩のことだけを言っているのではない。一生懸命、地道に取り組んでいれば、誰も見ていないようでいて、必ずその努力を見ている人がどこかにいて、いつか認められるものだということも言い表している。
(中略)
やはりコツコツと努力していた選手は、コーチなどの指導者として残っていることが多い。彼らが現役時代に地道に汗を流している姿を、球団関係者がどこかから見守っていたということだろう。(P.103)
▼子を見れば親がわかる
いくら親が礼儀作法を口うるさく子どもにしつけたとしても、その親自身が実践していなければ、子どもは最終的に親のやっていることと同じようなことをするようになる。その意味で親の責任は重大だ。言い換えれば、選手の人間性を知るヒントとして、その親を見れば、だいたいのことがわかるともいえる。
(中略)
よく聞く話だが、スカウトマンやアスリートの代理人業をやっている人たちは、お目当ての選手の親がどういう親かがとても重要なのだという。
(中略)
いずれにしても、子どもというのは、親の姿を映す鏡ということだ。
(中略)
「子どもを見れば親がわかる」、「選手を見れば監督がわかる」のである。(P.109)
▼読書が人を成長させる
気をつけなければならないのは、目的意識もなく、ただ漠然と読んでいるだけでは意味がないということだ。私は常に野球を意識しながら、「野球だったらどうなるか」と頭の片隅で考えながら読書をしていた。
(P.116)
▼なぜ組織には適材適所が必要なのか
これは何も野球にかぎった話ではなく、一般社会における組織においても同様のことがいえる。人間委はそれぞれ異なった個性や才能がある。それを指導者が正しく見抜いて、適したポジションに配置して、個々のはたすべき役割を明確にしてあげることが必要だ。
そうすれば、個々の人材は、明確になった組織内での自分の役割を徹底しやすくなるはずだ。まずは指導者が部下の個々の特性を見抜く、このことが組織運営のスタートといってもいいのだろう。(P.119)
▼組織の力量は、監督の力量以上にはならない
組織はリーダーの力量以上に伸びない。これは私が常々言い続けてきた言葉である。
(中略)
だからこそ、リーダーは常に知識や情報の吸収に努め、観察力や分析力、判断力、決断力や感性が向上するよう努力しなければならない。リーダーが自分自身に対して厳しく、常に成長しようという姿勢を見せていれば、選手たちも自ずと同じような姿勢になってくる。
(中略)
その点で言えば、川上監督時代の長嶋茂雄や王貞治あたりは、常に向上しようと後輩選手たちにその姿勢を見せ続け、組織全体の底上げを図ったといえるだろう。(P.137)
これは先生と生徒の関係でもあり、家庭でいえば親と子の関係にも通じている。
出典:『リーダーのための「人を見抜く」力』
野村克也・著(詩想社新書)
